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ロバート・ダドリー (初代レスター伯) : ミニ英和和英辞書
ロバート・ダドリー (初代レスター伯)[はく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はつ]
  1. (n,adj-no,n-suf) first 2. new 
初代 : [しょだい]
 【名詞】 1. first generation 2. founder 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

ロバート・ダドリー (初代レスター伯) : ウィキペディア日本語版
ロバート・ダドリー (初代レスター伯)[はく]

初代レスター伯ロバート・ダドリーRobert Dudley, 1st Earl of Leicester1533年9月7日 - 1588年9月4日)は、イングランドの貴族。ジョン・ダドリーの五男。祖父はヘンリー7世に仕えてヘンリー8世に処刑されたエドマンド・ダドリーで、「反逆者3代目」の異名をとる。エリザベス1世の寵臣として知られる。
1553年、父が起こしたジェーン・グレイ事件が元で、母、兄ジョンとアンブローズ、弟ギルフォード(ジェーンの夫)とジェーン・グレイの父ヘンリー・グレイらとともに逮捕され、ロンドン塔に幽閉された。父はすぐに処刑され、ギルフォードとジェーン・グレイも半年後に処刑された。一方、母はすぐに釈放されたが、母の必死の嘆願にもかかわらず、兄弟たちが釈放されたのは9か月後であった。この幽閉期間中、異母姉メアリー1世によってロンドン塔へ送られていた幼なじみのエリザベス王女と、牢番の子どもを使ってメッセージを送りあったとされている。事件の前に、ロバートは既に妻エイミー・ロブサート(Amy Robsart)と結婚していた。そのためにジェーンと結婚せずにすみ、処刑をまぬがれたのである。
エリザベスの即位後、主馬頭(Master of the Horse)に取り立てられ、女王の寵臣となる。反逆罪で処刑者を出した家系の者を取り立てるのは奇妙に思えるかもしれないが、イングランドでは貴族が反逆罪を起こすことはよくあり、身内に処刑者がいるのは貴族の証という冗談もある。エリザベスの父のヘンリー8世時代、反逆罪で親子共に処刑されるはずだった家長が生き残ったノーフォーク公爵ハワード家の者も、エリザベスの時代には複数が取り立てられ、今日でも子孫の称号であるノーフォーク公爵はイングランド貴族最高位である。
1560年にエイミーが自宅で召使いを全員遠ざけた後、一人きりで階段から転落したと思われる状態で死亡した。自殺説、乳癌で骨が弱っていたために少しの衝撃で首の骨が折れたという説、ロバートによる殺害説があり、裁判では自殺とされたものの、一般にはロバートが殺したと信じられた。ロバートとエリザベスが秘密裡に結婚したとさえ噂された。しかし結婚した事実はなく、むしろ自分も殺人犯の仲間だと思われることを恐れ、エリザベスは結婚しない決意を固めたともいわれる。ロバートはスペイン王フェリペ2世と取引し、自分がエリザベスと結婚した暁にはイングランドをカトリックに戻すと約束して協力を取り付けたが、これはローマの支配下には戻らないと固く決意したエリザベスを怒らせただけだった。
エリザベスは、隣国スコットランドの女王メアリー・ステュアートが最初の夫であるフランスフランソワ2世と死別した後に、2番目の夫としてロバートを推薦さえしている。しかし、メアリーはエリザベスの愛人と噂されるロバートを拒絶した。ロバートに爵位をやりたいがために伏線を張ったという説もある。
1563年レスター伯位を授けられる。女性関係が派手な人物であり、ダグラス・シェフィールド(en、男性名であるが、女性である)と不倫をして同名のロバートなど数人の子どもを産ませている。1578年には初代エセックス伯ウォルター・デヴルーの未亡人レティス・ノウリス(Lettice Knollys)と再婚した(彼女はアン・ブーリンの姉メアリー・ブーリンの孫にあたった)。彼女の連れ子ロバート・デヴルーは、実はウォルター存命中にダドリーとの間にできた、不倫の子であるとも言われる。ダグラスの夫は妻とロバートの浮気を訴えようとしたときに突然死を遂げており、ロバートが殺害したという説がある。
エリザベスの寵愛が衰えた1585年ネーデルラント遠征に参加した。ズトフェン包囲戦に参加し、総督の地位を得るが、本国イングランドからの援助はわずかであった。そして、オランダの政治家ヨーハン・ファン・オルデンバルネフェルトと対立し、帰国を余儀なくされる。ダドリーに司令官としての才能がないことははっきりしていたが、陸軍総司令官として軍を率いた。この頃には既に、義理の息子ロバート・デヴルーが女王の寵臣となっていた。1588年、アルマダの海戦の直後に急死した(胃癌とされる)。エリザベスは「私の目」と呼んだ寵臣の死をいたみ、数日間も自室に立てこもり、心配した家臣がドアを打ち破ったとされる。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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